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(無題)

 投稿者:秋魚  投稿日:2017年 6月23日(金)22時54分49秒
編集済
  ・・都議選があるな。都民ファの候補応援で小池百合子が地元に来ている。青梅マラソンのスターターと青梅観光を盛り上げてゆくというのでだいぶ受けていたようだ。自分も一票入れる。

・・今日は朝から自転車で多摩丘陵をヘめぐった。帰宅が夕方六時。多摩川沿いにマムシに注意!とあったが幸い蛇には会わなかった。温泉で壷押し湯というのをやったり、だいぶ体の節々が痛い。いまはバラバラ体が分解しそう。百草の稲荷塚というのがめずらしい八角墳と聞いて、簡単な位置地図を頭に入れて、ヒマがあったら訪ねてみたかった。・・数日前にネットで記憶した位置地図だけに訪問はあてにならない。予定外の算段だった。温泉のフロントで交番や道路網など尋ねると地図をだしてあれこれ説明を受けた。最近はどこでも新人が多くインフォの役が覚束ないのが多いがマニュアルあるらしく手をつくしてくれる。JR中央線は恐れ入った。駅員車掌が女子職員。それでも仕事はできる。
・・結局駅ちかの交番はビルの二階というのであきらめ最初に頭に入れた地図を頼りに稲荷塚をめざした。昔は古墳だったが今は神社か公園だと記憶して百草にあるという。ずっといくと運よく交番があって職員も在所のよう。日野の百草と思っていろいろ尋ねるがここは多摩市という。百草は多摩市にもあります。こちらの百草なら稲荷塚があります。運よくこの近くだった。頭の地図の寄せは正解。

・・このあたり和田古墳群が認知されているが、もっと昔は縄文の遺跡群もあったようだ。宅地開発などでおおかた原形をとどめぬが、この稲荷塚古墳はまだ墳丘の形はとどめている。都の調査で石室も確認されている。八角墳というのはたしからしい。


最近、多摩地区を走って気がついたこと。霞川にはカメラマニアがカワセミを撮ろうと粘っていたが、騒ぎすぎて出没はなかったか。瑞穂にある狭山ケ池は由緒が古い。水の色がモスグリーンで魚や水鳥も多い。午前中早めに訪れると、カメラマニアがものものしげに陣取っている。聞くとカワセミの飛翔を待っているのだという。つれずれに池の面を眺めていたら、一瞬、きれいな虹色の鳥が水面をかすめた。すぐ木陰に隠れたが、遠目にも虹色はよくみえた。・・あれがカワセミという。思ったより大きな鳥で、色彩は緑、青、オレンジとか虹色にみえる。

 武蔵野

・・総武線沿線は武蔵野からは外れている。武蔵野自体都からの外れの意味だった。下総上総には武蔵野コンプレックスがあっただろう。ミュージシャンの倉木マイは京都は第二の故郷と明言したのは、えらい。第一は秘して語らずだが、下総出身だ。近代の偏差値基準でいうと、感情移入のハイパーレベルを発揮したのは、同期では鮫島有美子、近々では倉木マイ。・・彼女らのずっと先輩は「更級日記」を綴った菅原孝標女だと認識している。上総の出だが。父の任期終了とともに京へ帰国するのが十三歳の時。渡月橋の十三詣りと同じ年ですね。都心を幻視する女子力では抜けているがローカルレベルの限界をどう超えるか、周囲はそうみるだろう。
 倉木マイは声がつぶれなければ、アジアの女王ayuにとってかわるのは時間の問題だとみる。ayuというのはハスキーボイス以外の記憶がないので申し訳ない、ホイスパーボイスにハスキーが+するのは、アジアの新風ではないか。嘘の充満してる台湾、中国では強烈なインパクトシンガーのボイスベリテが称讃されるはず。

 娘たちの仕事をよそに、大先輩の「更級日記」を解読してみたい。定家が秘かに筆写したという。
 
 

(無題)

 投稿者:秋魚  投稿日:2017年 6月18日(日)23時15分54秒
編集済
  まゐ様

・・忠臣蔵のお話は聞いているでしょう。江戸時代将軍は徳川綱吉の時でした。松の廊下の刃傷沙汰、赤穂浪士の討入り、切腹とか想像したくもない空気の時代がありました。品川の泉岳寺には大石蔵之助以下四十七士のお墓があります。・・泉岳寺の前の坂道を登って三田の方へ行くと海のほうへ見晴らしがきく亀塚公園に出ます。海がみえるといっても昔のことで今は渺茫とした埋め立て地でしょうか。月の岬と呼ばれて月見の名所はここのことかもしれません。亀塚公園には古墳と思しきものあり。

・・竹芝伝説もここです。菅原孝標女が上総から京に行く途中武蔵の国に入りました。この時すでに伝説でしたから古いお話でしょう。

・・火焼屋の衛士がこぼしています。

「などや苦しき目を見るらむ。わが國〔武藏をさす〕に七つ三つ作り居(す)ゑたる酒壺に、さしわたしたる直柄(ひたえ)の瓢(ひさご)の、南風吹けば北になびき、北風吹けば南になびき、西吹けば東になびき、東吹けば西になびくを見でかくてあるよ」と獨(ひとり)打ちつぶやきけるを

・・内裏の姫君が御簾こしにこのつぶやきを聴きとめたのが、はじまり。

東国というのは、なんて楽しい風が吹いているのだろう。想像するだけでわくわくです。

「七つ三つ作り居(す)ゑたる酒壺に、さしわたしたる直柄(ひたえ)の瓢(ひさご)の、南風吹けば北になびき、北風吹けば南になびき、西吹けば東になびき、東吹けば西に・・」

「我ゐて往きて見せよ。さいふやうあり」


・・この都、平安京ではなく大和(奈良)の都と思います。平安京でも姫君は同じでしょう。

鳥影も木影もさして青簾
物ごしに采女の声や青簾
大輔も式部も見えて青簾

井月に青簾を詠んだ句があります。

大輔は伊勢大輔、永祚元年(989年)頃? - 康平3年(1060年)頃?

「いにしへの奈良の都の八重桜けふここのへににほひぬるかな」

花みずきの一青窈にしても「うす紅色」が訴えていましたから、まゐ殿の「うす紅色」も私無しでヒットです。・・そして「から紅」の渡月橋へ。

ちはやぶる神世もきかず龍田河唐紅に水くくるとは  業平

嵐山の紅葉もさることながら、斑鳩竜田川の紅葉もから紅そのものです。つつ井筒は十三七つの恋でしょうか。

・・簾がでてきたので、やはり業平の玉簾の歌が気になります。

吹く風にわが身をなさば玉すだれひま求めつつ入るべきものを (業平)
返し、
とりとめぬ風にはありとも玉すだれたが許さばかひま求むべき (高子)

平安朝もこのあたり洗練されすぎかと。青簾の青が効いています。

・・

三田の亀塚公園ですが、この亀塚、竹芝伝説の姫君のお墓ではないかといわれる。塚の頂上に亀山碑があり、これは上野国沼田城主土岐頼煕が寛永三年(1750)に建てたもの。「塚の頂上に酒壺があり、酒壺に出入りしていた亀が一夜の風雨で石になった」という伝説を伝えている。

・・この亀の石、今でも健在で少し降った亀塚稲荷神社に祀られてあるそうです。

亀塚公園のすぐ隣、済海寺という浄土宗のお寺があります。安政六年(1859)フランス総領事館が置かれましたから、戊辰戦争で指揮をとった河井継之助もここに尋ねているでしょう。


 沖の石

そういう名の椿があります。若狭の白比丘尼がもたらしたかもです。


わが袖は 潮干に見えぬ 沖の石の
    人こそ知らね 乾く間もなし

●●●●●●●●
わがそでは●●●
しほひにみえぬ●
おきのいしの●●
ひとこそしらね●
かわくまもなし●
●●●●●●●●
●●●●●●●●

乾く間もなく秋くれぬ露の袖

●●●●●●●●
●●●●●●●●
かわくまもなく●
あきくれぬ●●●
つゆのそで●●●
●●●●●●●●
●●●●●●●●
●●●●●●●●


ところで、酒壷に亀。この亀、白い霊亀です。

渡月橋を渡って南から嵐山をまわりこむと、松尾の里ですね。芭蕉がこのあたりを散策しています。
松尾大社がみえて、ここは若い人はあまり訪ねないでしょう。芭蕉だから松尾大社に参拝というベタなことはやらんでしょう。井月は来てるはず。

京都府京都市西京区嵐山宮町3   北緯34度59分59.87秒 東経135度41分06.62秒

松尾大社は山吹と亀の井が魅力です。亀の井の水で酒を造るといつまでも腐敗しないそうです。
 

(無題)

 投稿者:秋魚  投稿日:2017年 6月14日(水)10時44分45秒
編集済
  ・・塩船観音寺に宗長が勝沼城三田氏を訪ねた歌碑があるという。確かめるために自転車を走らせた。ものの30分もかからない。躑躅の万華鏡はもう季節をすぎたが、手前にある吹上菖蒲園はいまが旬の盛りだ。自慢の梅林がウイルス被害でやられて観光客もぐっと減ったがこちらの北青梅はまだまだ未開発風。こころある人はこちらに廻る。すこし活気がある。

・・真言宗醍醐派別格本山というこの寺、はじめて訪ねた人はまず驚く。山間の凹地に構えて斜面一面に躑躅が植えられている。開花の頃は異様な曼荼羅世界になる。本尊は千手観音で開山はずっと古い。若狭の八百比丘尼が大化年間にやってきた。

何故若狭の八百比丘尼がこの武蔵の青梅に?若狭というのは裏日本の北陸ではないか?八百比丘尼というのがそもそも伝説的な旅の巫女。若狭の国の漁師の娘が人魚の肉を食べて不老不死の身になった。

・・八百比丘尼は白比丘尼とも、若狭小浜あたりの生まれという。

小浜田烏沖合いには、沖の石がある。

塩船観音寺  北緯35度48分15.4秒 東経139度16分52.4秒

・・この緯度線を追うと、

郡上大和・明建神社  北緯35度48分42.48秒 東経136度55分24.79秒

・・福井敦賀原発(北緯35度45分02秒 東経136度01分11秒)の沖合いから若狭湾を蓋する形で京丹後最北端の経ケ岬(北緯35度46分45.47秒東経135度13分24.92秒)を抜ける。

八百比丘尼の故郷は、 福井県小浜市小浜男山  北緯35度29分29.6秒 東経135度44分18.3秒

熊野本宮大社 和歌山県田辺市本宮町本宮1100  北緯33度50分26.1秒 東経135度46分24.5秒


・・本居宣長の「古今伝授」批判が熾烈なので、すこし引いてみる。

「こゝに東下野守常縁と云ふものあり、歌人にはあらず。とるにたるほどの人にはあらねども、歌道に心をかけて、歌も少々よみ、歌学もすこししたるものにてありけるが、古今伝授と云ふことをつくりこしらへたり。そのつくりやうは、貫之より次第相伝と云ひて、元俊・俊成・定家と伝へ、それより次第に二条家につたはり、頓阿より後は千葉の家に伝へて、世に聞えず。さて自身まで相伝と云ふこと也。これみな大きなるつくりごとにて、あとかたもなきこと也。頓阿までも伝授と云ふことはさらになし。此こと別に弁ず。この常縁それを宗祇へ伝へたり。宗祇もあざむかれて、まことのことと思ひて、これを受けつたへたり。」

「そのころ西三条殿逍遥院実隆公、和漢の才ありて、ことに歌学に達し、詠歌もすぐれ玉へり。此人まことに歌道の中興にして、今に至るまで仰ぎ信ずることかはらず。此人専ら二条家の正風をたつると云ふことを名として、専らよみ玉へり。さればこれを二条家の歌道の中興と申す也。されどもこれを二条家の中興と云ふはあやまり也。此人は歌道の中興とこそ云ふべけれ。かの頓阿のころは、異風の流ありて、二条家おとろへしを、その異風をしりぞけて、二条家の風をおこしたればこそ、二条家の中興とはいへ、逍遥院殿のころは、すべて歌道おとろへて、異風も正風もなければ、何家と云ふことあるべからず。たゞ歌道の中興也。時の天子後柏原院も御名人也。さてその逍遥院殿を二条家の中興と云ふことは、そのいはれは、此人さしも学才ある人なりしかども、いかなることにや。かの古今伝授と云ふことをまことゝ思ひて、伝はり玉へり。かなしきこと也。常縁はいふにたらぬものなれば、たとひ伝授と云ふことをつくりたりたりとも、此逍遥院殿など云ふ時の名人、道の中興する人などのうけつけ玉はずば、世にひろく知りて伝はることはあるまじきに、此人さへあざむかれて、信仰し玉ひけるうへは、自余の人は信ずることはり也。かくの如く二条家の古今伝授と云ふことをうけつたへ玉ふゆへに、二条家中興とは云ふ也。されどその伝授と云ふもの、もとわけもなきつくりごとなれば、大いに誤り也。ただ歌道の中興也。」

 花を見てかへるといはぬ人はなし
  たもとを桃のにしきたちきて 逍遥院内府公
 

(無題)

 投稿者:秋魚  投稿日:2017年 6月 2日(金)13時46分31秒
編集済
  ・・嵐山、渡月橋、竹林、天龍寺。この辺はセットのパワースポット。天龍寺の寺号は、足利尊氏の弟直義が龍の夢をみたのを機縁に名付けられたという。が、これは嘘であろう。夢窓国師の案だと思われる。無門関や碧巌録にすこしだけ名をとどめる天龍禅師に由来をもらった。

・・馬祖道一-大梅法常-天竜-倶胝  という法嗣をみていたか。

大梅法常(752-839)


平安京に生きた深窓の三佳人。紫式部、和泉式部、清少納言。

めぐり逢ひて見しやそれとも分かぬ間に雲隠れにし夜半の月影  紫式部
あらざらむこの世のほかの思ひ出にいまひとたびのあふこともがな  和泉式部
夜をこめて鳥のそら音ははかるともよに逢坂の関は許さじ  清少納言


最近は、わたしは、清少納言に魅かれるものがあります。

枕草子(一一段)

山は小倉山。三笠山。このくれ山。わすれ山。いりたち山。鹿背山。ひはの山。かたさり山こそ、誰に所おきけるにかと、をかしけれ。五幡山。後瀬山。
笠取山。ひらの山。鳥籠の山は、わが名もらすなと、みかどのよませ給ひけん、いとをかし。
伊吹山。朝倉山、よそに見るらんいとをかしき。岩田山。大比禮山もをかし、臨時の祭の使などおもひ出でらるべし。手向山。三輪の山、いとをかし。音羽山。待兼山。玉坂山。耳無山。末の松山。葛城山。美濃の御山。柞山。位山。吉備の中山。嵐山。更級山。姨捨山。小鹽山。淺間山。かたため山。かへる山。妹背山。

・・小倉山を筆頭に、京近辺の山は見て知ってるでしょうけど、大方は他の歌詠みで想像した山々ではないでしょうか?「朝倉山、よそに見るらんいとをかしき」など、おもしろい。

朝倉山は福岡市にある歌枕、
「昔見し人をぞわれはよそに見し朝倉山の雲井はるかに」

この朝倉山は、岐阜の不破郡垂井町にもあるそうです。標高253m

・・

かくとだにえやはいぶきのさしも草さしも知らじな燃ゆる思ひを  実方

とこもふち淵も瀬ならぬ涙川袖の渡りはあらじとぞ思ふ  清少納言

・・この二人、似合いのカップルかと。


 

(無題)

 投稿者:秋魚  投稿日:2017年 5月31日(水)18時03分53秒
編集済
  まゐ様

・・デジャヴが重なると先も危ういのかもですね。ともかく久々のfantasm。謡の「雲林院」にはバージョンが二つある様です。あるいは三つかそれ以上。世阿弥元清はたいへんな美少年だったと聞いてます。将軍義満に見出され三代目義教には佐渡流刑を受けるなどやはり出来る者は末は島に流れる様です。「雲林院」の作者は未詳ですが、バージョンのひとつは世阿弥のものというのは、わたしの直感です。
世阿弥は鬼夜叉という幼名でしたが、貴まゐの好きな京の都はもともと鬼のよく出没するところと心得ております。
「雲林院」の一つのバージョンでは、昔男業平と藤原高子の恋の逃避行が芥川を渡り武蔵野の草原までやってきます。で、高子の兄は基経ですが、執念の鬼となって追いかけ妹を鬼一口に呑んだという曲になってます。鬼一口というのは、ハッとさせられますね。

・・京の羅城門。楼上に鬼が棲むという。

都良香が羅城門を通った時、「気霽れては風、新柳の髪を梳る」と漢詩を詠むと、楼上から「氷消えては波、旧苔の鬚を洗ふ」と詩の続きを詠む声がした。

・・この下の句は鬼の詞と噂になった。

都良香 (みやこのよしか、承和元年(834年) - 元慶3年(879年)

貞観期、富士の噴火、陸奥海溝地震など動乱の時代の文章博士。富士山登頂(?)の記など。


・・ところで板東武者の誉れは、平将門。関東平野の至る所将門の霊魂が息づいています。新皇と称し朝敵とされ、最後には藤原秀郷の矢に屈してしまいますが、郷土に根付いた王道の武者魂は東国の誉れとしてよいでしょう。・・京の獄門に晒し首となっても、江戸の神田まで空を飛んできた首塚は今でもたいへんなパワースポットということです。まゐ殿のしなやかで強靭な感性は、この将門の霊魂オーラを感じさせます。

・・当時、朱雀天皇は仰天したという。寛朝僧正に神護寺の不動明王像とともに、東国下総に赴かせ、将門調伏の祈祷をせしめたといいます。空海が彫った不動明王像ですが、これは効き目があったらしい、将門は討たれてしまいます。この時の不動明王像が本尊となって成田山新勝寺の開山となりました。

この真言宗の僧寛朝(916-998)は、京の広沢池畔に遍照寺を開山(989)しています。最寄の駅は嵯峨嵐山駅といいますから渡月橋、山城エリアでしょうか。広沢の池は往古より観月の池として名を馳せているとのこと。

やどしもつ 月の光の大沢は いかにいつとも 広沢の池  西行
古の人は汀に影絶えて 月のみ澄める広沢の池    源頼政
あれにける宿とて月はかわらねど昔の影は なほぞこひしき  平忠度
心には見ぬ昔こそ浮かびけれ月にながむる広沢の池    藤原良経

名月や池をめぐりて夜もすがら  芭蕉

・・

寛朝僧正が安倍晴明と同席していた時、晴明は、周りにいた公卿たちにせがまれて陰陽道の妖術を試された。術をもちいて手を触れずにカエルを真平らに潰したという。

寛朝はまた真言声明の第一人者とも。

・・芭蕉の「池をめぐりて」の句は、深川芭蕉庵で詠まれたもの。あるいは、広沢池でも詠んだかもしれない。






 

(無題)

 投稿者:秋魚  投稿日:2017年 5月30日(火)22時43分46秒
  ・・青梅吉野街道東の外れから滝山街道が伸びる。あきる野秋川を通り戸吹トンネルを抜ければもう八王子だ。アップダウンの道を数回くりかえしこのまままっすぐ行けば八王子の駅の方にいけるはず。・・途中左折して滝山城址にポタリング。

・・青梅多摩川上流にある軍畑という地は、青梅三田氏vs滝山城主北条氏の戦い(1563)があったところだ。「辛垣(からかい)の合戦」と呼ばれる。
 

(無題)

 投稿者:秋魚  投稿日:2017年 5月25日(木)11時32分58秒
編集済
  ・・渡月橋の子はなんだ同郷だな。娘か。曲は借りるが詩はすべて自作という。R&Bというのが基調らしい。bluesとは愁いだな。perfect orangeを知ってる女流はすべて成功。(わたしが言うのだ、間違いない)

なにかの廻り合わせ。この橋の近くからはじめよう。


・・江戸深川の臨川寺。芭蕉と仏頂和尚が出会った頃はまだ寺号はなくただの草庵だった。臨済宗妙心寺派瑞甕山臨川寺というのが正式な呼称という。・・伊賀から東上した俳諧師と臨済の禅坊主がはじめて交わした問答が今でもよく知られている。

仏頂 「梅子熟せりや」
芭蕉 「桃の青きが如し」

・・

およそ俳人の起点と結点はここに集約されるとみる。

京右京区嵐山桂川にかかる渡月橋。「くまなき月の渡るに似る」というキャッチフレーズがそのまま渡月橋の名になった。このフレーズ、イメージがむずかしくないか。橋は人が渡るものだと思うが、月が渡るとは。月がではない、月の渡る。・・橋の上で観月をしたら(亀山上皇が)橋の上空を移動していく月を眺めて「くまなき月の渡るに似る」とみた。やはり月が渡るようです。現代人は忙しいから、橋の上で月の移動を眺める時間をもたない。上皇が観月をしたというのでなく、月を観ながらゆっくり橋を渡る。月をそのまま眺めていると月の移動に見える。そういうことでしょう。・・人が渡るのか月が渡るのか。妙。

・・渡月橋を右京へ渡り、川に沿って少し下ると京の臨川寺がある。臨済宗天竜寺派霊亀山臨川寺というのが正式な呼称。後醍醐天皇開基、開山は夢窓疎石1335年。疎石入寂もこの寺。渡月橋を渡って北に上がると臨済宗天竜寺派大本山、霊亀山天龍資聖禅寺(天龍寺)がみつけられる。開基は足利尊氏、開山は夢窓疎石1345年。天龍寺は京都五山一位といわれる。


瀬を渡る飛石もあり小鮎汲み
楽しみは浅瀬にあるや小鮎汲み
若鮎や花と汲まるゝ網の露

天龍眺望
若鮎の瀬に尻まくる子供かな


・・「渡月橋~君想ふ」youtube 2017.3/13以来再生回数4百万突破。聴いて鳥肌が立つという人多い。わたしはこの歌でなく「perfectcrime」で鳥肌立つ。今、4905571回。

十三詣りというの、幼年期から成長期への感性。小鮎と若鮎は同じものではないでしょう。

・・しかし、驚きですね。


平安朝女子の恋心、大人の場合、橋のない渡り、袖の渡りすら覚束ない。

「 実方と恋愛関係にあった彼女はその詞書に ”実方の君の 陸奥に下るに” と述べ

とこもふち 淵も瀬ならぬ 涙川 袖の渡りは あらじとぞ思ふ
                               新後拾遺和歌集 清少納言」


・・天龍寺の西方に亀の甲の形をした山があり、亀山、小倉山と呼ばれる。

「足利尊氏が後醍醐天皇の菩提を弔うため、大覚寺統(亀山天皇の系統)の離宮であった亀山殿を寺に改めたのが天龍寺である。」
「小倉山の西麓と南麓は桂川(保津川、大堰川とも)が流れ、東麓は嵯峨野、北東麓は古くから葬送の地として知られる化野(現 嵯峨鳥居本地区)である。紅葉の名所で、歌枕としても有名。鎌倉時代の歌人藤原定家が、厭離庵近くの小倉山荘(時雨亭)で小倉百人一首をまとめたとされる。」

小倉山東麓の嵯峨野には、祇王寺、天龍寺、野宮神社、落柿舎ほか多くの名刹・史跡がある。


夕されば小倉の山に鳴く鹿は今夜は鳴かず寐宿にけらしも    万葉巻八
夕されば小椋の山に臥す鹿の今夜は鳴かず寐ねにけらしも    万葉巻九

・・「消せない過去を 見つけられれば
このゲームは終りにしよう」perfectcrime というけれど、この歌の過去はどうして見つけられる。
 

(無題)

 投稿者:秋魚  投稿日:2017年 5月21日(日)14時12分14秒
編集済
  ・・中氷川神社を訪ねる途中瑞穂箱根ヶ崎にある狭山が池に寄りました。この池武蔵野の歌枕だそうでいくつか歌に詠まれています。

武蔵なる狭山が池のみくりこそひけばたえすれわれやたえする 「古今六帖」
踏み分けし狭山は雪に跡絶えて池のみくりは来る人もなし  藤原季能
氷ゐし汀の枯野踏み分て行は狭山が池の朝風   尭恵「北国紀行」

・・大坂にも狭山池というのがありそちらの方が由緒深くもあるが、武蔵野の狭山池もたしかに歌に詠まれる。

「狭山の池は、みくりといふ歌のをかしきがおぼゆるらん。」「枕草子」

・・この「みくり」だが「三稜草」という植物で浅い沼や池によく生えるという。わたしが訪れた時の狭山池には菖蒲草が黄色い花を咲かせていた。「みくり」というのも在ったかも知れぬ。花言葉は「恋の傷み」。


枕草子で憶い出した。清少納言は、東国など歩いてもいず歌から想像して狭山池をいう。これは断じて大坂の溜池ではないでしょう。陸奥に流れた藤原実方をよくみていた。

 かくとだにえやはいぶきのさしも草さしも知らじな燃ゆる思ひを
 

(無題)

 投稿者:秋魚  投稿日:2017年 5月20日(土)20時16分6秒
  山城の松からも透く初日哉

・・まり様。約束の京「山城」の解読ですが、その前に所沢中氷川神社を訪ねてみました。わたしの処から自転車で楽勝の位置です。氷川神社というのは多くあり、その中一ノ宮は大宮氷川神社。中氷川神社は所沢に二つ、奥氷川神社というのはなんと多摩川上流の奥多摩駅の近くにあります。所沢の中氷川は以前訪ねた時は山口にある神社できょう訪ねた三ヶ島の神社は、早稲田大学所沢キャンパスのほぼ隣にあります。狭山湖に沿ったあたりです。狭山湖、多摩湖に沿った森がトトロの森というようです。

・・倉木マイ「幕張メッセライブ2009」という動画をみてテンション強くすこし感動です。京都がわたしの原点といって渡月橋の詩を歌っているけど、アニメ探偵コナンのテーマ曲ようです。8年前はポップロックというやわな体でパンチが利いてますから、元気でますね。

・・ロックンロールの原点はスサノオの八岐大蛇退治だと認識してますから、フリや感性の質も出雲のスサノオと重ねてみてしまいます。
 

(無題)

 投稿者:秋魚  投稿日:2017年 5月19日(金)21時30分59秒
  くまなき月の渡るに似る

・・嵐山にある虚空蔵法輪寺を訪ねたら渡月橋を渡りけして振返ってはならぬ。愛しい人に会うためにたえず月をみて橋を渡りつづけるように。倉木麻衣の新曲「渡月橋 君想ふ」はそういう恋歌をピュアに歌うものらしい。虚空蔵云々は知らなくてもよい。

十三詣りというから男女の知恵はこの橋からはじまるということか。十三歳の恋の感性が呼び起こされている。(かなり話題になってヒットしてるようだ)

・・渡月橋で憶い出した。青梅の奥多摩にも同じ様な橋がたしかあった。いろいろ探したが記憶違いで橋の名は「数馬峡橋」という。
 

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