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1、沈み込み帯では、冷たい海洋プレートが大陸の下へ斜めに沈み込んでいるために、大陸の下の深部のプレート境界付近は相対的に低温になっています。
また、海洋プレートが100km以深に沈み込んだ先では、海洋プレートから放出される水のために融点降下という現象が生じ、大陸側の深部の高温のマントルの一部が融解してマグマが生じます。このマグマが上昇している領域の浅部は相対的に高温になっています。
この沈み込み帯特有の、深部は低温、浅部は高温という、地温が逆転した構造をまずご理解ください。
2、マグマは、かんらん岩質のマントルの部分融解により生じます。
中央海嶺やホットスポットでは、高温のマントル(固体)の上昇により、融点が低い低圧の浅部でその一部が融解(減圧融解)し、玄武岩質の海洋地殻が造られます。
沈み込み帯では、海洋プレートが深部に持ち込む水による融点降下により、沈み込まれる側のプレートの下の暖かいマントル(固体)が融解してマグマが生じます。水を含んだマグマから花崗岩質の大陸上部地殻が造られます。したがって沈み込み帯は、大陸地殻が成長していく場でもあります。
3、古い大陸地殻と、日本列島の花崗岩の区別ですが、年代の違いです。私は日本列島の始まりを約3億年とするのが良いと思っています。そのころ分裂したゴンドワナ超大陸の一部であるシベリア大陸・北中国大陸(中朝大陸)・南中国大陸(揚子大陸)が衝突合体して中国大陸の原型ができ、古太平洋のファラロンプレートが沈み込み始めました。アジア大陸の東縁に太平洋の海洋プレートが沈み込む、日本列島が形成されていく場が誕生したわけです。
飛騨-隠岐帯の片麻岩はジュラ紀に高温変成を受けていますが、その原岩の年代はおそらく20億年前以上に遡り、日本列島が形成される以前の大陸の地殻です。(高温低圧型変成岩である飛騨片麻岩・隠岐片麻岩の原岩には、花崗岩と堆積岩の両方が含まれると思いますが、私はよく理解できていません)
飛騨帯の神岡付近に分布する船津花崗岩は、ジュラ紀の沈み込み帯のマグマ活動で形成されたもので、アジア大陸側の古い地殻ではなく日本列島形成時代の花崗岩です。
沈み込み帯は、海洋性プレートが持ち込む水による融点降下により、花崗岩質の大陸上部地殻が造られていく場です。ジュラ紀の船津花崗岩、白亜紀の阿武隈・領家・山陽花崗岩など、古第三紀の山陰花崗岩など、新第三紀の黒部花崗岩・外帯花崗岩・甲斐駒花崗岩など、さらに第四紀の滝谷花崗岩は、日本列島の形成史の中で誕生した花崗岩類ですが、造られつつある大陸地殻ともいえます。
飛騨-隠岐帯の基盤である片麻岩は、東アジア大陸東縁の沈み込み帯という場が誕生し日本列島が成長し始めた時代よりも以前のものという、「日本列島形成の時代」かそれ以前かという歴史的な区分とお考えください。
4、領家変成帯と三波変成帯は、ジュラ紀付加体を主とする丹波-美濃-足尾帯と秩父帯、白亜紀付加体である四万十帯北帯、古第三紀付加体である四万十帯南帯という区分に対し、それらを原岩とする広域変成帯という意味で1ランク下の区分です。
領家変成帯は、ジュラ紀付加体である丹波-美濃-足尾帯が白亜紀後期の花崗岩質マグマの貫入により高温低圧型の広域変成を受けた広域変成岩である領家片麻岩が分布する地帯です。領家変成帯に分布する花崗岩を領家花崗岩と呼んでいます。丹波-美濃-足尾帯の付加体の岩石と領家片麻岩との境界は漸移的です。
三波川変成帯は、白亜紀の沈み込み帯の火山フロントより海溝側で低温高圧型の広域変成を受けた広域変成帯です。その結晶片岩類の原岩は、ジュラ紀付加体である秩父帯のものと考えられてきましたが、最近になって砂質片岩や泥質片岩に含まれるジルコンの砂粒の年代が測定できるようになり、白亜紀付加体が原岩であると考えられるようになってきました。すなわち白亜紀付加体である四万十帯北帯の一部がさらに深部へ引きずり込まれて低温高圧型の変成を受けたものと考えられます。
その後に中央構造線沿いに上昇し、領家変成帯と秩父帯との間に上昇し露出したと考えられます。白亜紀に変成作用を受けたときには、領家変成帯は相対的に浅部にあり、三波川変成帯は相対的に深部にあり、その間に高温から低温への漸移的な部分があったはずですが、中央構造線より外側の三波変成帯の上方にあった部分は、三波変成帯の上昇に伴い削剥されて失われ、領家変成帯と三波川変成帯が中央構造線を境に接するようになりました。中央構造線の最初期の活動期は左横ずれなので、この三波川変成帯を上昇させた中央構造線の活動期がいつの時代の活動なのかは、今のところ未解決です。
三波変成帯の外側のジュラ紀付加体との境界断層は、御荷鉾構造線(南アルプスでは戸台構造線)と考えられてきました。しかし三波川変成帯の結晶片岩の原岩が白亜紀付加体だということが明らかになってきたので、今まで三波川変成帯に含めてきた御荷鉾緑色岩体(ジュラ紀)の帰属が、新しい問題として浮上してきました。
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