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岡谷の横河川上流の結晶片岩(補足)

 投稿者:河本  投稿日:2018年 3月31日(土)09時53分3秒
   三好さんの論文では、岡谷の横河川上流に結晶片岩、下諏訪の砥川上流に御荷鉾緑色岩が見られること。赤石山地に併走して分布する結晶片岩帯と御荷鉾緑色岩体の幅を、横河川~砥川の距離にあてはめると、ちょうど横河川付近が中央構造線になると推定しています。
 横川川上流には泥質片岩・緑色片岩・蛇紋岩の露頭が見えていました。砥川上流では表層の崩壊礫と土壌に覆われて露頭は見えていなかったけれども、転石や、堰堤工事で掘られて地表に散乱していた角礫に、緑色岩とかんらん岩が見られた記憶があります。
 
 

岡谷の横河川上流の結晶片岩

 投稿者:河本  投稿日:2018年 3月30日(金)16時45分48秒
   横河川は北部フォッサマグナ側を掘り込んでいる河です。出速男神社付近では第四紀の火山岩に覆われています。少し上流では、火山岩を掘り下げて、河床には海成の泥岩が見られます。さらに上流の中ノ沢・菅ノ沢の合流点付近には、泥質片岩・緑色片岩・蛇紋岩が露出しています。
 これらは横河川が北部フォッサマグナの地層を掘り下げて、その下の古い岩石が露出したものと考えられ、三波川変成帯の岩石と考えられます。
三好壮一郎(1991)諏訪湖周辺の変成岩、島根大学地質学研究報告10、11-24
ir.lib.shimane-u.ac.jp/files/public/0/6337/20170425005718834822/c005010003.pdf

 外帯の三波川変成岩が横河川沿いに露出していることから、中央構造線は少なくとも横河川よりも北西側にあることになります。
 現在の諏訪盆地は糸魚川-静岡構造線の古傷が現在の東西圧縮によって左横ずれに動き始めたことにより造られているプルアパート盆地であり、その長径は岡谷-茅野間の12kmです。この諏訪盆地を造っている活断層の変位量の12kmで中央構造線が食いちがわされているとすると、ちょうど前宮と横河川の距離になるので、内帯側の岩石は見えていませんが、横河川からそれほど遠くない位置に中央構造線がありそうです。横河川の直線的な流路も、中央構造線の古傷が侵食されていると考えると説明できます。
 

仙水峠・白鳳峠下部の岩海

 投稿者:河本  投稿日:2018年 3月30日(金)16時17分14秒
  うっかりして、掲示板の確認を長期間忘れていました。申し訳ありません。

 仙水峠・白鳳峠下部の岩海の大小の礫は、ともに甲斐駒-鳳凰花崗岩の熱で堆積岩が熱変成を受けたホルンフェルスです。
 氷河が広がった氷期には、森林限界が低下し、南アルプスの稜線にも山岳氷河がありました。稜線の下の「周氷河地帯」は、露岩が露出し、凍結と融解のくりかえしで岩の割れ目が広がって、大量の礫が生産されました。当時はおそらく、周氷河地帯の全体が、現在の3000mの稜線付近のように、砕かれた岩石に覆われた状態だったと想像します。
 温暖な間氷期になり、これらの礫も風化して土壌に覆われていったと思いますが、高温で固く変成したホルンフェルスは風化しにくく、土壌になりにくいので当時の岩海の姿が残っているのではないかと私は想像しています。
 氷期-間氷期は10万年が1サイクルでくりかえしています。もっとも現在に近い氷期は「最終氷期」と名付けられていますが、数万年先に次の氷期が始まれば「最終」ではなくなりますね。最終氷期は約1万年前に終わり暖かい「後氷期」になりました。これも10万年後ぐらいに次の温暖期が来れば「間氷期」ということになります。
 今残っている岩海は、年代の測定結果はありませんが、おそらく2万年~1万年前にできたのではないかと思います。
 

伊那山地の範囲について

 投稿者:yama-take  投稿日:2018年 2月19日(月)22時27分45秒
  上伊那郡に住む登山愛好者です。博物館には一度山帰りにお邪魔したことがあります。
この掲示板見ますと地学の専門的なお話ばかりですので、このような質問をしても良いのか悩むところですが。
wikipediaによると、伊那山地は「諏訪湖の南から佐久間ダム付近まで」と書かれてます。
するとその経路は次のとおりで良いのでしょうか。1)岡谷ジャンクションー守屋山ー不動峰、2)五郎山ー戸倉山ー大萱山、3)大西山ー鬼面山ー谷京峠、4)熊伏山ーボンガ塚ー矢岳山
そう考えて今週矢岳山を歩き、あとは観音山ー矢岳山を残すだけになりました。
今になって熊伏山とか矢岳山が伊那山地であるという記述を見たことがないので心配になりまして、ここならお聞きできるのではないかと思った次第です。
地学的に「伊那山地」の稜線を特定することに意味があるか(1本の線が引けるか)どうかもわかりませんが、何かお答えをいただけることを期待しております。
 

(無題)

 投稿者:北村明  投稿日:2018年 1月 5日(金)17時34分17秒
  あけましておめでとうございます。

2014年に館長にお世話になりましたものです。論文を見ていただきました。謹んでお礼いたします。このたびホームページを開設いたしましたのでご連絡いたしました。今後もよろしくお願いいたします。

 gakuryoken.com

で検索してください。

http://www.gakuryoken.com

 

中央構造線の探査方法について

 投稿者:戸嶋 清房  投稿日:2017年10月15日(日)11時34分30秒
  私は諏訪地方に在住していますが、是非御教授頂きたいことが二つあります。
①中央構造線は大鹿村~高遠~杖突峠と続き糸静構造線(フォッサマグナ)と交差します。中央構造線はフォッサマグナが形成される前に既に存在していた筈です。フォッサマグナは深い峡谷で、日本海と太平洋をつないでいたと文献に記載されていました。このフォッサマグナが形成される過程でも土砂が堆積していった筈ですし、陸地化された頃には大量の堆積物に埋まっていたと思われます。その後、塩嶺火山、霧ヶ峰火山、八ヶ岳火山等の活動で火成岩で覆われている部分もあると思います。それなのに、杖突峠で途切れた中央構造線が、10キロ以上離れた岡谷から始まっています。ここから続く中央構造線はどうやって確認できたのか不思議でなりません。表層は堆積物に覆われていますから、どう考えても掘って確認できたとは思えません。是非とも教えて頂きたいと思います。できれば、どのくらい深いところで確認できたのかも知りたいと思います。
②過日、入笠山からほど近い『高座岩』に行きました。大きな岩でしたが、中に丸帯びた石が埋没しておりましたので、礫岩と判断しました。私は入笠山周辺は結構歩いていますが、礫岩を確認したのは此処だけです。地質図で調べてみましたら、細長くのびる『戸台層』となっていました。1億年以上前に形成された海成層で多くの化石(アンモナイトとか)が発見されていると記載されていました。この『戸台層』はどの様にして今に至っているのでしょうか?中央構造線に沿うようにのびていましたので、少しは関連性があるかと思って質問をさせていただきました。
以上、何方か御存知の方がいらっしゃいましたら、宜しくお願いします。
 

仙水峠、白鳳峠の下部の岩海について

 投稿者:戸嶋 清房  投稿日:2017年 8月30日(水)20時32分24秒
  久しぶりに投稿させて頂きます。
私は甲斐駒ケ岳や鳳凰三山を尾根伝いに歩きました。その中で地蔵岳から高嶺、白鳳峠を下って広河原に下りましたが、仙水峠の岩海とほぼ同じ光景を目にしました。高嶺付近の稜線にはホルンフェルスの大きな岩塊が見られます。この両者の岩海は同じと思われますが、時期的な違いはどのくらいあるのでしょうか?両者の生成時期につて、是非御教授頂ければと思います。宜しくお願いします。
 

花崗岩の貫入、地質体の再配列

 投稿者:河本  投稿日:2016年12月17日(土)17時07分52秒
編集済
   さて、藤原さんの質問①「中央構造線の外帯に三波川・御荷鉾・秩父帯、内帯に領家・美濃帯の付加体がありますが、この付加体は同時期に付加したものと考えてもよろしいでしょうか?」の答えは、おおむねイエスです。

 秩父帯と丹波-美濃-足尾帯はジュラ紀の付加体です。領家変成帯の岩石は、ジュラ紀の付加体である丹波-美濃-足尾帯の岩石が、白亜紀後期の花崗岩の貫入を受けて、白亜紀後期に高温低圧型の変成作用を受けたものです。

 御荷鉾緑色岩体もジュラ紀の付加体の緑色岩と考えてよいと思います。白亜紀後期に低温高圧型の変成作用を受けています。

 三波川変成帯の結晶片岩類が変成を受ける前の岩石は、従来は秩父帯の岩石と考えられてきましたが、最近になってその一部は白亜紀の付加体の岩石であることが分かってきました。深部で低温高圧変成を受けたのは白亜紀後期です。

 シームレス地質図で、「付加コンプレックス」と「変成岩類」を表示した後、「深成岩類」をクリックしていただき、白亜紀の珪長質深成岩類(花崗岩類)の分布を見てください。

 山陰地方~北アルプスにかけては古第三紀の珪長質深成岩類が分布していますが、白亜紀のものより濃いピンクで示されています。さらに若い、新第三紀の珪長質深成岩類は赤色で示されています。これらは無視してください。

 そうすると、白亜紀の珪長質深成岩類(花崗岩類)がジュラ紀付加体の間に割って入った様子が分かる思います。

 これは、沈み込み帯のマグマ生成は、海洋プレートが大陸プレート側の地下100km~200km付近に沈み込んだ付近の直上で起こるからです。

 白亜紀後期の火山帯、高温低圧型変成作用、低温高圧型変成作用が起こる場所の位置関係は、添付図をごらんください。

 この、丹波-美濃-足尾帯のジュラ紀付加体に白亜紀に貫入した珪長質深成岩類(花崗岩類)の海溝側の境界付近に、白亜紀後期に大規模な左横ずれ断層として中央構造線が生じました。この中央構造線の活動期を「鹿塩(かしお)時階」といいます。

 白亜紀の花崗岩と、高温変成を受けたジュラ紀付加体(=領家変成帯)の岩石で、中央構造線の海溝側にはみ出していた部分は、しだいに失われていき、ついに低温高圧型の三波川変成岩と接しました。
 その失われた部分の幅は10数km~数10kmあったと考えられます。
 それが中央構造線のいつ、どのように動いた活動期によるのか、まだよく分かっていません。

 外帯側を見ると、ジュラ紀後期~白亜紀前期の付加体が深部で低温高圧変成を受けた三波川変成帯が上昇し、ジュラ紀付加体は、中央構造線の北側の丹波-美濃-足尾帯と南側の秩父帯に切り離されています。

 このように、古い付加体の一部が海溝側に張り出すとともに、その間に新しい付加体が上昇し、古い付加体に割って入るように分布している姿は、中国山地のジュラ紀より古い付加体の分布域で大規模に見られます。

 また、外帯の中に断層で境されたレンズ状のブロックとして分布している、大陸側で形成された(付加体ではない)古い地質体(たとえば黒瀬川帯)は、内帯側から外帯側へ押しかぶさるように移動したと考えられます。

 このように沈み込み帯では、大陸側の下に海洋プレートが沈み込むことによって、大陸側の地質体が水平に近い断層で海溝側に押しかぶさるように移動することが知られてきました。そのように押しかぶさるように張り出した地質体を「ナップ」といいます。

 したがって内陸から海溝に向かって、古い付加体から新しい付加体へ順々に成長していることを前提に、さらにナップによってそれらの一部が再配列していることが考えられるようになってきました。

 そういう意味で藤原さんの質問③「時間差付着であれば、内陸側が古く、太平洋側が新しく付着した思うのですが、どうででしょうか?」はイエス。

 質問②は、前提が違うのでノーですが、「その後の地殻変動(中央構造線など)で今の配列になった」という意味ではイエスと思います。
 
 

付加体の配列

 投稿者:河本  投稿日:2016年12月17日(土)15時47分23秒
編集済
  2、付加体の配列

 アジア大陸の東縁に、約3億年にわたって成長した付加体が、日本列島の土台になっています。その成長は数100万年~数1000万年の時間スケールでは断続的ですが、基本的には内陸側から海溝側に向かって古い付加体から新しい付加体へ、帯状に配列しています。

 たとえば、1億4500万年前~6600万年前の中生代白亜紀に成長した付加体が、関東山地の高尾山付近~赤石山脈主稜線~紀伊半島~南四国~九州山地~奄美大島・沖縄本島の一部に露出していて、その地帯を「四万十帯北帯」といいます。四万十帯北帯の中でも、北から南へ向かって白亜紀前期から後期にかけての古い付加体~新しい付加体へ並んでいます。

 地表のどこにどのような地質が見えているかについては、インターネットで見られる「日本シームレス地質図」がおすすめです。
https://gbank.gsj.jp/seamless/

 「日本シームレス地質図」で検索し、トップページの左上の「地質図を表示」をクリックすると表示されます。

 左上に縦に並んでいるアイコンのうち、いちばん上の紙が重なったようなマークをクリックすると、背景になっている地図を変更できますが、全国スケールの分布を見るなら「白地図」が分かりやすいでしょう。

 次に2番目のハンマーのマークをクリックして地質図を設定します。「付加コンプレックス」以外のチェックを外すと、今の日本列島の地表で付加体の岩石が露出している場所が表示されます。指マークを置くと、その地質の説明が右下の窓に出ます。窓が表示されていない場合は右クリックすると表示されます。

 新しい堆積岩に覆われていると、地表では見えませんが、帯状の分布が想像できると思います。

 東北日本はほとんど新しい時代の地層に覆われていますが、北海道渡島半島~北上山地にかけてジュラ紀の付加体が見られます。

 日高山地の付加体の配列については、私はまだ不勉強なので、宿題にしておきます。

 なお、「変成岩」のほとんどは、内陸の火山帯付近で、地下にあった付加体の近傍にマグマが上昇して高温で鉱物が変わった「高温低圧型変成岩」か、海溝付近で付加した付加体がさらに深部へ引きずりこまれて深さのわりに低い温度で鉱物が変わった「低温高圧型変成岩」です。

 未変成の付加体の配列が分かったら、次に「変成岩」のチェックを入れてみると、良いと思います。
 

付加体のでき方

 投稿者:河本  投稿日:2016年12月17日(土)12時02分39秒
編集済
   東三河の藤原さま。博物館の河本です。「急がない」ということで返答が延び延びになってしまいました。

1、付加体のできかた。
 付加体は、誕生した場所も時代も異なる岩石の集まりなので「付加コンプレックス(複合岩体)」ともいいます。大きく分けると、海洋プレートが遠洋から運んできた緑色岩・石灰岩・チャートと、大陸から海溝に流れ込んで海溝付近に堆積した砂岩・泥岩に分けられます。

 緑色岩は、海底に湧いた玄武岩が、熱いうちに海水の水と一部の鉱物が反応して、水を含む変質鉱物を含むようになった岩石です。マグマ活動は地球上のいろいろな場所で生じるので、玄武岩もいろいろな場所でできますが、付加体の緑色岩(変質玄武岩)は、海洋プレート上の中央海嶺やハワイのような火山島に湧いたものです。

 石灰岩は、おもに生物の石灰質の殻や骨格が海底に堆積してできます。今のオーストラリアのグレートバリアリーフのような大陸の海岸線付近のサンゴ礁で大量に造られますが、付加体の石灰岩はハワイのような海洋プレート上の火山島のサンゴ礁や、石灰質の殻を持つプランクトンの死骸が海洋プレートの海底に堆積したものです。ただし微細な石灰質の殻は、水温や水質にもよりますが約4000mより深いところでは水圧で溶けてしまうので、深海の底には堆積しません。

 チャートは石英質の殻を持つプランクトンの死骸が海底に堆積してできます。浅い海底では石灰質のプランクトンの死骸と混ざってしまいますが、深海底では石灰質の殻は水圧で溶けてしまうので、石英質の殻だけが堆積してチャートができます。ただし大陸に近いところでは、大陸から飛んできた微細な泥や火山灰が混ざってしまうので、純粋なチャートは大陸から遠く離れた遠洋の深海底でなければできません。

 海洋プレートは、誕生した中央海嶺から移動して離れていくのにしたがい、冷えて重くなり、沈んでいくため海底の深さもより深くなっていきます。最初に中央海嶺で湧き出して海底を覆った緑色岩の上に、移動していくにしたがって石灰岩が堆積し、さらに移動とともに沈んで水深が増すにしたがって、石灰岩の上にチャートが堆積します。そのため大陸の下に沈み込む直前の海洋プレートの表面付近には、上から下に向かって、泥混じりチャート、チャート、石灰岩、緑色岩の順に層をなしていることになります。

 海洋プレートが大陸プレートの下に沈み込む海溝またはトラフ(底が浅く平坦な海溝)には大陸から砂や泥が流れ込んできます。付加体の砂岩は、海底土石流によって泥と混ざって流れ込んでできます。そのため砂粒の間に泥が密に詰まっていて、隙間なく固まっています。海底土石流と次の海底土石流の間は、泥だけがゆっくりとたまります。したがって海溝付近には海底土石流でいっきに堆積した砂岩と、ゆっくり堆積した泥岩が積み重った砂岩泥岩互層ができます。海溝へ流れ込むような大規模海底土石流の原因としては約100年に一度の間隔で繰り返すプレート境界型地震が考えられます。
 こうして沈み込み直前の海洋プレートの上には、下から順に緑色岩・石灰岩・チャートからなる遠洋性岩石の上に砂と泥が繰り返し堆積します。そして、これらを載せた海洋プレートが大陸プレートの下に沈み込んでいきます。

 たとえば今の太平洋プレートは、東北日本沖の日本海溝から沈み込んでロシアのハバロフスクの下では深さ660kmに達し、さらに真下に向きを変えて深さ2900km下(地球の半径の約半分の深さ)まで沈み込んでいます。その入口の深さ50km付近までは大陸プレート側とがっちりかみ合っていて、大陸プレート側を引きずり込んでいます。
 大陸プレート側のバネを曲げるような変形が限度に達すると、プレート境界面のかみ合いがはずれて一気に跳ね戻ります。その急激なすべりによってプレート境界面付近の岩盤に振動が生じます。地震の発生です。その振動が地表まで伝わり地面を揺らして私たちは地震を感じるわけです。
 付加体を構成している岩石は、プレート境界面のすべりにともなって海洋プレート側から剥ぎ取られ、大陸プレート側に付け加わったものです。したがってプレート境界型の地震発生と付加体の成長には密接な関係がありそうです。

 ただし、現在の日本海溝付近では付加体は成長していないと考えられています。それは今の日本海溝付近に沈み込んでいるのは太平洋プレートの古い部分で、冷えて重いために急な角度で沈み込んでいることと関係がありそうです。
 逆に西南日本の下に沈み込んでいるフィリピン海プレートの南海トラフ付近では現在の付加体が成長していることが知られています。フィリピン海プレートの南海トラフから沈み込んでいる部分は若く、比較的暖かくて軽いため、緩い角度で沈み込んでいることと関係がありそうです。

 このように、海洋プレートの沈み込み口付近で常に付加体が成長するわけではありません。
 そのちがいがどうして生じるのかは、まだ明確ではありませんが、海洋プレートが沈み込む角度が垂直に近いか水平に近いか、あるいは海洋プレートが大陸に対して進む方向が直交に近いか平行に近いか、沈み込む海洋プレートが古くて冷たいか若くて新しいか、また海洋プレートの沈み込み速度のちがいなど、海洋プレート側の条件が場所や時代により異なるということは言えます。
 また、大陸側に高い山があるか平坦かによって大陸から海溝に供給される砂や泥の量が変わるので、付加体の成長速度が変わります。たとえば大陸側に高い山があると砂が盛んに供給されて成長速度が速くなり、付加体中の砂岩の割合も多くなります。一方、大陸側が平坦だと泥がゆっくり供給されるだけなので、成長速度は遅くなりますが、付加体中の遠洋性の岩石の割合が多くなります。
 また中央海嶺が大陸に近く、誕生した海洋プレートがすぐに沈み込んでしまう場合には、石灰岩やチャートが堆積する時間が短いので、付加体に含まれる遠洋性の岩石の中で緑色岩の割合が増すことが考えられます。

 このように大陸の縁での付加体の成長は断続的ですが、ひとつの成長期(たぶん数100万年~数1000万年)の中ではプレート境界型地震のサイクル(数10年~数100年)で連続的に成長すると考えられます。

 したがって、ご質問の④「付着する場合は、長年にわたり大地殻変動が起きる気がしますが、将来再付着時期の予想はされているのでしょうか?」の答えはこうなります。

 「付着する場合は、長年にわたり大地殻変動が起きる」についてはノー。西南日本についてはまさに今が付加体の成長期です。しかし東北日本については現在は付加体は成長していませんが、プレート境界型の巨大地震が起きるし、地殻変動もあります。
 日本列島の場合、海洋プレートの沈み込み帯に位置しているために地震も火山活動も地殻変動も起きます。しかし海洋プレートの沈み込み帯でいつでもどこでも付加体が成長するわけではないので、沈み込み帯の地殻変動と付加体の成長を常に直結して考えることはできません。

 「将来再付着時期の予想はされているのでしょうか」についてはおおむねイエス。次の東海・東南海・南海地震の発生時期ですから数10年以内ということになります。南海トラフ沿いの地震と付加体の成長の関係については、今まさに研究のテーマになっています。
 

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