teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]

[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ] [ 検索 ]


12、活断層としての中央構造線の動きを誘発するか

 投稿者:河本  投稿日:2016年 4月27日(水)13時36分57秒
編集済
   今回の別府-万年山断層のずれ動きが、豊予海峡から東の中央構造線活断層帯の動きを誘発するでしょうか。
 今回の地震のエネルギーは東北沖地震の数百分の1なので、本州の遠方の断層に影響をおよぼすような地殻変動は生じていないと思います。ただし1596年には伊予から豊後へ誘発していますから、佐賀関半島北岸沖や豊予海峡を震源とする地震が起こらないか見守っていく必要があります。

 四国~紀伊半島西部の中央構造線活断層帯と、赤石山地の中央構造線活断層帯は、向きも活動度もちがい、活断層としては別物と考えます。四国で大規模な地震が起きないかぎり、赤石山地の中央構造線活断層帯の誘発は考えなくて良いと思います。

 ある断層のずれ動き(地震)がどのぐらいの領域の地殻変動で引き起こされたのか。そのずれ動きによって、地殻のどのぐらいの領域まで影響がおよぶのか。そのような研究に注目していきたいと思います。
 
 

11、5日間に別府湾~京都の3つ断層帯が動いた1596年の地震

 投稿者:河本  投稿日:2016年 4月27日(水)13時28分27秒
編集済
   1596年9月1日(慶長伊予地震)。伊予地方を中心に地震被害の記録があり、四国~紀伊半島西部の中央構造線活断層帯の愛媛県の部分がずれ動いて発生したと考えられています。

 1596年9月4日(慶長豊後地震)。豊後で地震被害があり、別府湾の瓜生島が1日で沈んだという記録があります。別府湾の正断層がずれ動いたと考えられていますが、島の消滅の原因については、正断層の沈降側で生じた地殻変動、津波、地すべりなど、いろいろな見方があります。

 1596年9月5日(慶長伏見地震)。裏六甲~京都へ延びる有馬-高槻構造線がずれ動いたと考えられている地震です。倒壊した伏見城から豊臣秀吉が救出されています。

 四国~紀伊半島西部の中央構造線活断層帯の徳島県の部分も、このときに動いたかもしれません。
 活断層の発掘調査では、古い時代の地層がずらされ新しい時代の地層がずれていないならば、そのずれ動きが生じたのは古い時代の地層の堆積後で新しい地層の堆積前の期間であるというようなデータが得られます。したがって1回のずれ動きの発生時期は数10年~数1000年の幅をもってしか得られないことがふつうです。
 徳島県の中央構造線活断層帯の発掘調査により得られた最新の活動年代の多くは、1596年を含む年代幅になっています。

 大分県の地震は別府湾の正断層が震源ならば伊予地方の中央構造線活断層帯の地震による誘発、徳島の中央構造線活断層帯の地震は連動。活断層としての有馬-高槻構造線の地震は誘発と呼べるでしょう。

 四国~紀伊半島西部の中央構造線活断層帯の紀伊半島の部分は、このときは動いていません。

 徳島県鳴門と六甲山地の間の淡路島の断層がこのとき動いたかどうかは不明です。400年後の1995年に表六甲の六甲断層と淡路島西岸の野島断層が動き、兵庫県南部地震が発生、阪神淡路大震災(地震災害)が生じました。
 

10、阿蘇山の東側の地震の発生は、連動か誘発か

 投稿者:河本  投稿日:2016年 4月27日(水)13時26分35秒
編集済
   これはまだ何とも言えません。阿蘇山の噴出物に覆われた地殻の部分に、布田川断層の延長部が続き、さらに別府-万年山断層帯に続いているかどうかです。

 ただし、マグマが上昇している場所では、火山帯でない場所にくらべて地下の温度は高くなっています。火山性地震ではないふつうの地震では、地震の震源になるのは岩盤が冷たくて固いところです。日本列島の地殻の中では深さ20kmより下では、地温が300度を超え、岩石がゆっくりと延びるようになるので震源になりません。ところが熱いマグマが上昇している火山帯ではもっと浅くても300度を超えるので、地殻の中で地震を発生する部分の下限が浅くなります。
 つまり、阿蘇山の下では、下からのマグマで地殻が温められて、地震を発生する固い部分が薄くなっているはずです。そのような場所では底が浅い小規模な断層群ができると考えられます。
 そのような場所にひとつながりの断層帯ができるだろうか。あるいはそのような硬い地殻が薄くて脆弱な場所で地震を起こさずに、その先の部分が連動することができるのでしょうか。

 そう考えると、大分県で起きている地震は、熊本地震による地殻変動が阿蘇山を迂回して伝わり、大分県の断層が地震を起こす引き金になったのかもしれません。それならば私の言葉使いでは「誘発地震」になります。

 このことは、引き続いて阿蘇山の直下で大きな地震が起こるかどうかという予測に関わると思うのですが、今後の観測と解析に注目したいと思います。
 

9、連動と誘発の区別

 投稿者:河本  投稿日:2016年 4月27日(水)13時24分46秒
   これは私なりに考えた言葉の使い分けです。
 四国~紀伊半島西部の活断層としての中央構造線は、同じ方向(走向)の断層で、同じ向きの力により、同じずれ方(右横ずれ)をしています。したがって四国~紀伊半島西部の活断層としての中央構造線はひとつの活断層帯とみなせます。しかし長大な活断層帯では全体が一度に動くのではなく、いくつかの区間に分かれて、それらの一区間だけが動いたり、いくつかの区間が同時や数日程度の時間差でいっしょに動いたりします。こような場合に「連動」という言葉を使うのが適当と思います。
 一方、東北地方太平洋沖地震の翌日に信濃川断層帯の一部がずれ動いて長野県北部の栄村で地震が発生しました。これは東北地方太平洋沖地震により本州に生じた地殻変動が引き金になって、すでに地震発生の時期になっていた栄村付近の断層がずれ動いたためです。本州側の大陸プレートと太平洋プレートの境界が大きくすべり動き、本州の地殻が東西に引っ張られたため、栄村付近の断層がずれ動くのを食い止めていた摩擦力が小さくなったため発生したと考えられています。このような、大きな地震による地殻変動が原因で別の断層が動く場合は「誘発」とするのが良いと思います。
 

8、四国~紀伊半島西部の中央構造線活断層帯(活断層としての中央構造線)と、九州の活断層

 投稿者:河本  投稿日:2016年 4月27日(水)13時23分1秒
   四国~紀伊半島西部の活断層は地殻の南東からの短縮による右横ずれ断層です。豊予海峡~佐賀関半島北側沖合の横ずれ断層は、その延長と考えられます。別府湾から西へ延びる別府-万年山(はねやま)断層帯は地殻の南北伸長による正断層群です。したがって四国~紀伊半島西部の中央構造線活断層帯と、別府-万年山(はねやま)断層帯は性格がことなり、別の活断層帯とみなすべきと思います。
 

7、九州の地質境界としての中央構造線と活断層

 投稿者:河本  投稿日:2016年 4月27日(水)13時21分48秒
   大分県では地質境界としての中央構造線の位置は、佐賀関からまっすぐ豊後竹田方面へ延びるか、佐賀関半島の付け根をS字状に回って臼杵から西へ延びるかですが、別府湾から西へ延びる別府-万年山断層帯はそれらよりずっと北方にあるので、別府-万年山(活)断層帯は中央構造線の古傷の再活動とは言えません。

 熊本県では地質境界としての中央構造線は地表では見えません。臼杵-八代構造線は秩父帯の北縁、または秩父帯内部の地質境界としての断層です。この地域では三波川変成帯が失われて秩父帯が領家変成帯に接している可能性もありますが、未解決です。領家変成帯も地表に見えていません。内帯側の岩石は菊池市北方までいかないと露出していません。
 日奈久(活)断層は、東北東-西南西方向の秩父帯の地質構造を北東-南西方向に斜めに切っており、臼杵-八代構造線の再活動とも言えないと思います。

 したがって九州中部の活断層を地質境界としての中央構造線の再活動とするのは適当ではなく、独自の活断層とみなすべきと思います。
 

6、今の九州の地殻変動

 投稿者:河本  投稿日:2016年 4月27日(水)13時18分48秒
   GPSなどの測量によれば、琉球孤(南西諸島)-南九州は南方へ移動しています。琉球孤の大陸側には沖縄トラフが開いています。北九州と南九州の間には別府-島原地溝帯が開いています。
 北九州には太平洋プレートによる東からの押しとアジア大陸からの西からの押しが働き、北九州の地殻は東西に短縮しています。四国はフィリピン海プレートにより南東から押され、四国の中央構造線活断層帯(四国の活断層としての中央構造線)の右横ずれ(相対的に北側が右、南側が左にずれる)を起こしています。そのため活断層のほとんどは逆断層か横ずれ断層です。
 しかし北九州をのぞく九州の大部分は引張りの場になっているので、活断層のほとんどは正断層か横ずれ断層です。

 沖縄トラフは新第三紀に開き始めました。その開裂の東方延長は九州の別府-島原地溝帯、西方延長は台湾北部の宣蘭盆地に達しています。琉球孤の動き方は北部の南九州-奄美、中部の沖縄本島、南部の八重山で異なっていますが、その境界線は研究者により異なっています。おおむね北部は反時計まわり回転、中部は南下、西部は時計回り回転をともなっていますが、新第三紀~現在の期間内でも変動のようすは変化しています。この変化の原因として、フィリピン海プレートの進行方向の変化や、フィリピン海プレート上の九州-パラオ海嶺の衝突地点の移動などが考えられます。

 図はNUMOのレポートにある、産総研活断層データベースの活断層をずれ方により色分けしたもので、赤が逆断層、青が正断層、緑が横ずれ断層です。
 別府-島原地溝帯だけでなく宮崎県や鹿児島県でも活断層の多くが正断層です。
 八代から北東に延びるのが日奈久断層(産総研の呼び方では御船活動セグメント)で(右)横ずれ断層です。
八代から東方へ延びる横ずれの緑川-鎌野活動セグメントは、今回の震源にはなっていません。
 熊本市から阿蘇山外輪山の下へ延びる布田川断層(布田川活動セグメント)は、正断層として描かれていますが、今回の震源断層のずれ方は右横ずれです。
 
 

5、九州の「地質境界としての中央構造線」

 投稿者:河本  投稿日:2016年 4月27日(水)13時17分26秒
   九州の地質をインターネットのシームレス地質図で検討しました。

 熊本市付近は阿蘇山などの火山噴出物や第四紀の堆積物に覆われ、古い地質帯の岩石は見えていません。
 熊本市より北方では山鹿市や菊池市より北に白亜紀の花こう岩が見られますが、花こう岩に貫入されているのは博多南方から糸魚川にかけて分布しているジュラ紀以前の三郡-蓮華帯で、領家変成帯ではありません。
 南方では八代市より南に臼杵-八代構造線に北縁を限られて秩父帯の岩石が露出しています。
 熊本市付近には領家変成帯も三波川変成帯も見えないので、中央構造線の位置は菊池市と八代市の間のどこかです。
 ただし、熊本市南東の益城町と臼杵-八代構造線の間には領家変成帯の花こう岩や変成岩より古い白亜紀前期の花こう岩や変成岩、ジュラ紀の変成岩、白亜紀前期の恐竜化石を含む堆積岩が小規模に露出しています。関東山地から愛媛県の黒瀬川にかけて、秩父帯の中帯には似た岩石が点々と露出しています。もしこれらの岩石も外帯の秩父帯中帯に属するとすれば、中央構造線は益城町より北を通っていることになります。

 大分県では佐賀関半島に三波川変成岩が露出しています。その西方の朝地付近には領家変成帯の花こう岩や変成岩が露出しています。したがって大野川下流から豊後竹田方面が中央構造線の位置の候補になります。
 一方、奈良県から愛媛県にかけて中央構造線の北側に連続している和泉層群と同じように白亜紀後期の砂岩と泥岩が交互に重なっている大野川層群が、佐賀関半島の南側の臼杵付近まで分布しています。もし大野川層群が和泉層群の延長部だとすれば、中央構造線は大きく臼杵へSカーブしていることになります。
 

4、「地質境界としての中央構造線」と「活断層としての中央構造線」

 投稿者:河本  投稿日:2016年 4月27日(水)13時15分32秒
   中央構造線は、でき方が異なる地質帯の境界になっている断層です。その境界を「地質境界としての中央構造線」または「物質境界としての中央構造線」と言います。今見えている物質境界は、多くの活動期が重なった結果です。おそらく地域によっても地史は異なっています。

 現在の活動である「活断層としての中央構造線」の位置は、最近の地形や地層の食い違いが現れている場所です。

 地質境界としての中央構造線の位置と、活断層としての中央構造線の位置は、地表ではピッタリとは一致しないのがふつうです。数キロメートル離れている場合もあります。たとえば愛媛県西部の「地質境界としての中央構造線」は砥部町を通っていますが、「中央構造線(活)断層帯」の伊予断層・重信断層・川上断層は、約5キロメートル北方にあり、伊予市や松山市を通っています。
 

3、中央構造線の活動期(時階)

 投稿者:河本  投稿日:2016年 4月27日(水)13時07分47秒
編集済
   中央構造線は約1億年前、まだ後に日本列島になる部分が大陸の一部だった時代に、アジア大陸の地殻内の断層として誕生しました。その後も、異なる地殻変動の時代ごとに異なる再活動をくりかえしてきました。中央構造線の場合、それぞれの活動期に「・・・時階(じかい)」という名前を付けて、活動史の組み立てが試みられてきました。しかし古い活動の痕跡は、新しい活動によって上書きされてしまうので、その復元はなかなか難しいのです。

 今考えられている、中央構造線の活動期を古い方から並べてみましょう。

①鹿塩時階(白亜紀後期の約1億年前~7000万年前)
 大鹿村によく露出している鹿塩マイロナイトという岩石に痕跡が残っています。鹿塩マイロナイトは、中央構造線に接している内帯側の領家変成帯の花こう岩類や高温型の変成岩が、まだ地下15km程度の深さにあった時に中央構造線の深部でゆっくりと変形した岩石です。地下深部は温度が高く、300℃以上では花こう岩類はゆっくりと延びるように変形します。鹿塩マイロナイトに残っている変形の痕跡から、当時の動き方は左横ずれであったことが分かります。
 また7000万年前ごろには、地表では中央構造線の横ずれにともなって断層沿いに溝状の陥没が生じ、そこに砂岩と泥岩からなる和泉層群という地層が領家変成帯の花こう岩・流紋岩・変成岩を覆って堆積しました。和泉層群は現在でも奈良県五条~愛媛県にかけて中央構造線の北側に約10kmの幅で残っています。和泉層群の堆積構造からも、当時のずれ方は左横ずれであったことが分かります。
 この鹿塩時階では、まだ領家変成帯と外帯側の三波川変成帯は接していません。

②市ノ川時階(古第三紀)
 愛媛県西条市市ノ川という地名から名づけられました。領家変成帯側の和泉層群が正断層で下がった活動とされます。
 深さ10km~15kmで変成した領家変成帯と深さ15km~30kmで変成した三波川変成帯が接するためには、三波川変成帯側がより大きく上昇しなければなりません。私は市ノ川時階の活動で領家変成帯と三波川変成帯が接するようになったかもしれないと考え、市ノ川地域を見て回ったのですが、市ノ川の断層露頭では後の砥部時階と石鎚時階の姿しか見られませんでした。
 結局、領家変成帯と三波川変成帯が接している「地質境界としての中央構造線」の始まりがいつの時代のどのようなずれ動きによるのかは未解決です。市ノ川時階の存在そのものも見直しが必要かもしれません。
 これまでの時階の区分を廃止し、内帯側から外帯側に押しかぶさる断層と、それを切って三波川帯側が上昇する垂直に近い断層を想定し、前者を古期中央構造線、後者を新期中央構造線と呼ぼうと提案をしている研究者もいます。

③4000万年前ごろの活動(古第三紀)
 紀伊半島の中央構造線露頭の断層粘土から得られた年代。次の砥部時階のひとつ前の活動期なので「先(せん)砥部時階」と呼ぼうという提案もあります。

④砥部(とべ)時階(新第三紀の1600万年前ごろの四国地域)
 愛媛県の砥部町の露頭から命名。領家帯側の和泉層群が、三波川変成岩を薄く覆う久万(くま)層群に逆断層で上昇した活動期。このころは日本海が拡大している変動の時代なので、西南日本の南下と関係していると考えられます。
 久万層群は領家帯側にも和泉層群を覆って分布しています。久万層群の堆積年代は最近まで古第三紀の4000万年前~5000万年前ごろと考えられていましたが、新第三紀の化石が含まれていることが分かりました。砥部時階も古第三紀の活動と考えられていましたが、新第三紀の活動であることが分かりました。

⑤赤石時階(新第三紀の2000万年前~1500万年前の高遠~水窪地域)
 四国の砥部時階のころ、高遠~水窪地域では別の活動が生じました。フィリピン海プレートは中生代末~新生代古第三紀の初めごろに南洋に誕生し、拡大しながら北上してきました。日本海の拡大が終わるころ、西南日本の下への沈み込みが始まりました。
 フィリピン海プレートに太平洋プレートが沈み込む伊豆‐小笠原海溝に沿って、数100km西側の部分は火山帯になっています。そこには伊豆‐小笠原島弧(火山列島)が成長しています。伊豆‐小笠原島弧でマグマからつくられている地殻は軽い安山岩質なので、伊豆‐小笠原島弧の部分は沈み込めずに本州側に衝突しています。1500万年前ごろに今の櫛形山になっている部分が衝突し、御坂山地になっている部分、丹沢山地になっている部分、今の伊豆半島が次々に衝突しました。将来は神津島が衝突してきます。
 櫛形の衝突を受けて、今の赤石山地の部分では、中央構造線を含む西南日本の地質構造が北へ大きく曲がっていきました。このとき水窪から南では外帯の地質構造を斜めに切って南海トラフへ達する赤石構造線が生じ、水窪以北の中央構造線と赤石構造線が一体になり、60kmの左横ずれが生じました。この赤石山地地域の新第三紀の左横ずれを赤石時階と言います。なおこの時の活動で生じたであろう地形は、その後に侵食されて失われ、現在の地形としての赤石山地の隆起の始まりはずっと後の時代になります。
 この赤石時階の高遠~水窪の中央構造線の東側の外帯部分は、北東‐南西方向に配列して中央構造線に斜めに切られています。この部分の外帯は赤石構造線に切られた東側の部分が北上したものです。そのため高遠~水窪の中央構造線は赤石構造線の一部と呼ぶべきだと考える研究者もいます。いずれにせよ、この赤石時階以降は、四国~紀伊半島西部の中央構造線と、赤石山地地域の中央構造線は、向きも異なり、別々の活動をする断層になったと考えるべきと思います。

⑥石鎚時階(新第三紀の1400万年前ごろの四国地域)
 日本海の拡大が終わり、南海トラフからフィリピン海プレートが沈み込み始めた1400万年前ごろ、四国では中央構造線付近に火山帯ができました。愛媛県の中央構造線の露頭には、そのころに北側がずり下がる正断層の活動の痕跡が見られます。

⑦菖蒲谷時階(第四紀前期の紀伊半島西部)
 第四紀前期に生じた、北側の和泉層群が紀ノ川沿いの堆積層に上昇する逆断層の活動。

⑧活断層としての中央構造線(第四紀後期の四国~紀伊半島西部)
 愛媛県の佐田岬半島沖合~奈良県五条の、現在の右横ずれ再活動。現在のフィリピン海プレートは南海トラフから北西方向に沈み込んでいるため、四国は西へ引きずられています。この四国の地殻にたまっていく変形は、中央構造線の古傷が右横ずれをくりかえすことにより解放されていると考えられます。地形を食い違わせていく速度は、1000年平均で数メートルのA級活断層です。

⑨活断層としての中央構造線(第四紀の赤石山地地域)
 1991年版『新編日本の活断層』は、中央構造線の佐久間~大鹿の区間は、地形の食い違いから右横ずれの活断層と考えています。1718年には遠山地震が発生しています。高遠~大鹿の区間は地形の食い違いが明瞭ではありませんが、活断層の可能性が否定できないとされていました。最近長谷地域で、まだ年代は決定できていませんが若い時代のものと思われる段丘堆積層を切っている露頭が発見されました。
 この赤石山地地域の活断層としての中央構造線が地形を食い違わせていく速度は、1000年平均で数10センチメートルのB級活断層~1000年平均で数センチメートルのC級活断層とみなされています。
 

レンタル掲示板
/38