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 投稿者:かぐやまの花こ  投稿日:2018年10月11日(木)00時53分18秒
  鳥羽にて、竹風夜涼といへることを、人々つかうまつりし時

窓ちかきいささむら竹風ふけば秋におどろく夏の夜の夢(新古257)
 
 

(無題)

 投稿者:秋魚  投稿日:2018年10月 9日(火)22時50分46秒
  ・・多摩川沿いにある釜の淵公園まで散歩に出た。起伏の激しい土地で風光明媚、天気の良い日には外出の散歩をしないと罰が当たりそう。メタセコイヤの巨木と山査子の木がある。数日前に山査子の実をすこし拾った。小さなリンゴの様な実で食べられるものらしい。アクもありそうだが、種をとってカレースープに入れて煮てみた。美味い。酸味があってねっとりした濃密なジャムのよう。で、まだ採れるだろう。季節の終わりの様だけど幾つか拾えた。

ここのサンザシは中国の姉妹都市からの贈り物という。プルーストの「失われし時を求めて」にサンザシの花がでてくる。あまり記憶にないが予想したより小ぶりの花で香りもあったかどうか。さほど見栄えのするものではなかったような。サンザシには棘があるのか。キリストの荊冠はサンザシだと先日知った。

「バラ科サンザシ属の落葉低木。中国産で、日本にも古くに持ち込まれた。熟すると赤くなる果実は生薬、果実酒、ドライフルーツなどの用途があり、盆栽の素材としても好まれる。」
 

(無題)

 投稿者:秋魚  投稿日:2018年10月 8日(月)18時08分29秒
編集済
  ・・千葉の船橋は市内を流れる海老川に小舟を繋いで橋をつくった。それで船橋という。これといって雅な話はない。上州佐野の舟橋は同じ様に舟を繋いで橋とした。こちらは古来歌にもよく詠まれる。

かけてだに契りし仲はほど遠し思ひを絶えね佐野の舟橋[順徳院]
人知れぬ心をいそのかみつけやかけてもふりぬ佐野の舟橋[行意]
ことづてよ佐野の舟橋はるかなるよその思ひにこがれわたると[定家]
東路の佐野の舟橋霧こめてよそにのみやは思ひわたらん[家衡]
尋ねても渡らぬ仲の月日さへかげ絶えはつる佐野の舟橋[俊成卿女]
東路にかけては過ぎし中河の瀬絶えもつらし佐野の舟橋[兵衛内侍]
思ふ人波の遠方尋ぬべき佐野の舟橋えやはうごかん[家隆]
もらさばや波のよそにも三輪が崎佐野の舟橋かけじと思へど[忠定]
なかなかにかくる心も苦しきに絶えなば絶えね佐野の舟橋[知家]
かけて猶いく世か恋ひんよそにのみ聞きこそわたれ佐野の舟橋[範宗]
絶えねただうきにつれなき身なりともさのみは待たじ佐野の舟橋[行能]
東路や佐野の舟橋いたづらに渡りしころも袖やぬれなん[康光]


・・佐野の舟橋は高崎の烏川にかかる。昔は碓氷川という。ここも奇跡的に訪ねた記憶がある。近くに定家神社、常世神社とある。

佐野の舟橋とはあまり関係ないが、

玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば忍ぶることの弱りもぞする

式子内親王のこの歌、宗祇が今はの際に見た夢、定家卿の歌とみえた。

・・
常世神社は鳥居の前まで出た記憶。

「鉢木」という謡の舞台だったというのは、後になって気付いた。
 

(無題)

 投稿者:秋魚  投稿日:2018年 9月30日(日)14時57分55秒
  ・・都心横断自転車ツーリングを思考している。新宿副都心にでて浅草、隅田川周辺にまでは何度か廻ってる。浅草にはまたちょっと用事がある。墨田区江東区を突切って江戸川を越えたい。天候がどうもね。

touchme!というライブのyoutubeを見たがつくづく倉木はおもしろい女だ。笑える。ネットですこし調べた。京都は第二の故郷といってたが第一は千葉の船橋市。小学校中学校と東船橋の前原という町ですごした。津田沼松戸をつなぐ新京成線にも前原という駅がある。この線、わたしはよく知っている。高校は聖徳大学の付属女子高で江戸川を越えたかと思ったが、松戸市にある。北総線の北国分から歩いて十分とかいってなんとも不便な土地だ。国分は市川だから松戸との端境か。わたしの頃は北総線もなかったしここらど田舎でした。高校二年で京都の立命館宇治高に編入。青春期に東京都心をパスしたのはおもしろい。倉木のライブ舞台つくりはバックスタッフがよくまとまって盛り上げる。本人は女座長さながら。体力もある。

八兵衛も泪こぼしぬ虎が雨  井月

この八兵衛、実は船橋にゆかりのもの。成田詣の客を呼ぶ飯盛遊女というが。虎が雨というのは曽我十郎愛妾の虎御前の涙。句詠みの作者は幕末の頃船橋界隈にも足を運んだかと見る。

小林一茶は信濃から出て素堂の流れをくむ葛飾派に親炙した。葛飾といってまだ江戸川を越えないあたりだが、文人墨客は川を越えて真間の手児名の面影をさぐっただろう。

   廿日 曇 金谷に入

かつしかや真間の入江にさちあれと柳ながめてのせぬ舟人 一茶

かつしかの真間にて

早乙女に足あらはするうれしさよ   其角

   挽歌 詠勝鹿眞間娘子謌

勝鹿(かつしか)の真間の井見れば立ち平(なら)し水汲ましけむ手児名し思ほゆ

『万葉集』(巻九)  高橋虫麻呂


・・
このあたりわが故郷だが。

 

・・

 投稿者:かぐやまの花こ  投稿日:2018年 9月30日(日)00時00分29秒
  ・・
鬱憂の夜に


https://www.youtube.com/watch?v=I-TWJPg_BDQ
 

(無題)

 投稿者:秋魚  投稿日:2018年 9月14日(金)19時21分53秒
編集済
  ・・今日も自転車で霞川サイクリングロードから入間市街中心まで。さすがに猛暑は去ったか。コスモスが咲いていたが気に留めることもない。becaus’everything…倉木のonelifeのアルバムはあまりヒットしなかったようだが、悪くない。若い女性シンガーの歌はずっと聴きたくなかった。西野かなは倉木と共演して少しシンガーが嫌になったのではないか。多くの女性ボーカルは皆はやく引退したいと思うだろう。アムロなんかも大変な人気だが歌は一つも憶えてない。ここ二十年くらい若い女性の生き方をリードしたと評価される。比べて倉木はきわめて古いクラシックの情念。ネクラでさえある。と思うのは自分だけか。…dontleavemealone…この種の情念はよく韓流のドラマでみられた。日本ではどんな女性ボーカルも歌わない、歌えない。バックバンドが太っちょの黒人たちにサポートされてるから、台湾では見て嬉しい。台湾、中国でブレークしてるという、探偵コナンの影響もあるようだが、どうか。

https://www.youtube.com/watch?v=jGhP2nGLPQo

・・入間市中央図書館を訪ねた。浅見野井のレフェランスを求める。
 

(無題)

 投稿者:秋魚  投稿日:2018年 9月10日(月)12時26分46秒
編集済
  「渋沢平九郎没後150周年 記念講演と説教節公演」

・・越生まで自転車で出かけた。天気もちょうどよく関東は晴れる。先日小曽木街道の外れで栗を拾った場所に寄ってみた。またパラパラと落ちている。すこし拾った。

飯能の二つの駅までは完璧に出られる。ここから宮沢湖の入口までも楽な道だ。さらに一本道で高麗川、毛呂山、越生と行けるはずだが、越生の中心街にでるには一本左に道をとる必要がある。この左折点を間違えたため修正が一回入った。埼玉医大病院の先で左折するのが正解。道を憶えれば次回は楽なコースになるだろう。二時間とすこしで駅前に着く。・・人と待ち合わせがあるが、観光案内所に寄って津久根の薬師堂の行き方を尋ねた。しかしながら案内人は未知であり地図でさがしはじめる。こちらの地図と照合してどうやらこの辺りらしい。ほかに公民館の場所も尋ねて、ありがとう。薬師堂に向った。

最初に尋ねた人は、薬師堂はわからぬが津久根の地域の行き方を教えた。薬師瑠璃光如来堂というのが正式な名らしい。近くまでいってさらに尋ねると、もうすぐほんの一歩き。知ってる人はよく微笑んで教えてくれる。地元の人でも知らなかったりあまり訪ねる人もいないのか、参道はひっそりしかしよく整った坂道だ。山門のところまで自転車で行ける。

明治初年から十年余り伊那の行脚俳人不爭庵木甫がここに寓居した。当時のままではないだろうけど人が住むような庵室もある。なにか感動を覚える。

あらたふと青葉若葉の日の光り 芭蕉の句碑があって揮毫は三森幹雄。建立発起は新井角丈、仲むつ美。明治十三年。

この薬師堂、水鶏楼と呼び、木甫は明治十二年九月一日までここに寓居。明治十四年に仲むつ美追福句集『行く秋集』が出る。木甫は伊那から句を寄せたという。

・・体が分解しそうなほど自転車に乗った。今は家で倉木麻衣のアルバムonelifeを聴いている。この人はやはりすごいな。感性の最も充溢したメッセージに無駄がない。ライブのyoutubeなども聴いたが、平常の声は意外と太い。力強いseasonofloveの後で声が出なくなったという人もいるが、違う。歌を唄うに声を張り上げる必要はない。感情の真実が優先されるから時として声や歌そのものも壊れてしまってもよい。ライブは一回性の勝負。全力で唄うドラマツルギーは他者の共感を呼ぶ。自作の詩が俗語だけでもとてもうまいのは、ジェラシーを感じるほど。

幕末の志士渋沢平九郎の自刃にいたる講演でも、まさに倉木のonelifeが響いて来る。




 

(無題)

 投稿者:秋魚  投稿日:2018年 9月 8日(土)20時19分53秒
編集済
  ・・吾妻峡というのがある。以前天覧山の脇から見返り坂を登り多峯主山を歩いた。常盤御前が歩いたという。多峯主から名栗川の方に出る。川に沿って吾妻峡という景勝の地があるという。この日はここを何としても訪ねたい。バス停に吾妻峡入口とある。川の方へ降りていったが浄水場らしきがあるのみ。近所の娘さんに聞いてもわからないという。もどってさらに自転車のおばさんに聞く。もっと先ですよ。薬屋さんのあるあたりでまた尋ねなさい。さらに道を行き今度は畑仕事のおばさんに聞く。にこっとしてセブンイレブンで左折、川に降りてください。漸くめざす吾妻峡へ。

なぜ吾妻峡というのか。ヤマトタケが「アヅマハヤ」というたのはここではない。あまり深く考えたくない。ずっといくと木のベンチがあって一休み。

・・ドレミファ橋というので、飛石を伝って向う岸まで渡れる。なるほど渓流がみごと。夏場は涼しい風が吹く。岸辺に沿って遊歩道があるようだが、今日は川を渡って上下を眺めるだけ。

川上とこの川しもや月の友   翁


どこにいても月の友を想っている。
 

(無題)

 投稿者:秋魚  投稿日:2018年 9月 8日(土)00時23分51秒
  ・・台風一過のあとで、野に出た。小曽木街道から成木、南高麗、山王峠を越えて名栗川に沿って飯能市街まで。坂がいくつかあるがこれしきで顎を出していてはいけない。飯能は過疎化しているがおもしろい町だ。この名栗川に沿った道は一度走った記憶がある。車の通行がそこそこあって走りよいものでもないが、川の景色は魅する。

・・小曽木街道から成木に向かう道で、道の端に栗がいくつも落ちていた。隣の畑の栗の木から毬ごと落ちて艶の有る実が落ちている。これって人通りがなくて誰も拾わないのだろう。いただくことにした。栗ご飯をつくる楽しみになる。

・・山王峠から正面に見える山はいつも気になる。秩父の武甲山と思うが。
 

(無題)

 投稿者:秋魚  投稿日:2018年 8月25日(土)19時27分12秒
編集済
  ・・今一番おもしろいのは図書館。このところあちこちの図書館でレフェランスやっている。こちらの関心の軸がしっかりしてる限り、思はぬ発見気づきが多い。この日は隣町の飯能図書館を訪ねた。

例によって青梅坂から小曽木街道。そのまま行けば飯能にはいる。この青梅坂、自分が生きてるうちにエポックとなって語り継がれると嬉しいのだが、まず無理なようだ。途中にある岩蔵温泉もなんとなく寂れてきてる。頑張って欲しいのだが。

市立図書館に行くには、岩井堂方面ではなく反対の方向から坂道を越えて入る。郷土博物館や能仁寺の近くだ。ここも何度か来てる。図書館ははじめて。大きな公園があって一休み。

鉄腕アトムの銅像があった。

樺の木や栂の木もあって春は桜が咲き誇るだろう。

通りがかりの小学生か中学生に道を尋ねた。図書館ならほんの眼とハナの先。太陽光パネルのような建物ですよ。ありがとう。

夏休みでエアコンも効くから中高生あたり図書館を利用している。若い世代は近くで見るだけでノスタルジックになる。千と千尋の神隠しの後、千尋は大変な美少女になるだろう。図書館でもそんな美少女がぬっと現われてきたりする。

飯能戦争と幕末維新の飯能俳諧について、レフェランスを求めた。係の人は片言の情報たよりに、十冊ほどの本を探し出す。振武軍大将の渋沢成一郎は、ここを脱して吾野から秩父上州に逃れた。渋沢平九郎は顔振峠から越生黒山に出たのが天運だった。

振武軍や彰義隊の敗残兵は最初青梅に入る予定だったという。多摩川をさらに登り御嶽神社に布陣するというなんとも無謀な作戦だったが、これを青梅の有志がなんとかくい止めた。攻められても奥多摩の山の中に逃走経路を求めるつもりだったらしいが、地勢からして無理とあきらめ飯能に向った。それで飯能は焼け野原になったというのが上野戦争の末だ。

・・飯能戦争後の飯能俳諧については、一点。

「明治三年十月、飯能の田中楼で翠斎平臥庵友義の大祥忌(三回忌)追福の句会が開かれた。友義は飯能の小間物商で通称を小松屋平兵衛、稼業の傍ら風雅を志し、遠近に名を知られた宗匠であった。この句会の判者は、月の本為山・紙葉軒野井・春秋庵弘湖と養仁叟月雄・八巣謝徳であった。この時、全国から寄せられた句の数々は、浅見野井が編集し『野風集』と名づけて刊行された。」

この『野風集』は、未見。

 

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